全長64mの帆立貝式前方後円墳で、段築、葺石、周溝が確認されている。墳頂部では組合式箱式石棺が確認され、方格規矩四神鏡が出土している。埋葬施設に関しては、発掘された位置が中心から外れているため、隣にもう1体埋葬されていたことが推測される。
親王塚古墳の北西に位置し、全長62mの前方後方墳で陵墓参考地に治定されている。親王塚古墳に先行する築造と推定。墳丘規模は実際は大きく考えられている。
第10代崇神天皇皇子で能等国造の祖である大入杵命の墓に治定されている全長72mの帆立貝式前方後円墳となります。墳丘は3段築成の葺石が確認されている。埋葬施設の石槨から三角縁神獣鏡2面が出土しています。4世紀中ごろの築造。
総数30数基を超える井田古墳群に属しており、1号墳は北西に前方部をもつ全長30mの前方後円墳で、日輪兵舎敷地造成によって削平されている。2号墳は径18mの円墳で野田源助先生顕彰碑が建つ。
当初は円墳と見られておりましたが、発掘調査により全長48mで前方部を北西に向けた前方後円墳であることが確認されました。出土品に最古の形式の須恵器甕、円筒埴輪、家型埴輪片が出土し、5世紀の半ごろの築造と推定される。
4世紀中頃から5世紀初めにかけて築造され、向き合うように位置する1号墳の前方後方墳、2号墳の前方後円墳を筆頭に36基から構成される古墳群です。 1号墳は、2段築成の葺石が覆う全長64mの前方後方墳で県内最大級を誇ります。大量の副葬品も確認されている。2号墳は同様に2段築成で葺石が覆う全長65mの前方後円墳。 ここに眠る被葬者は、いずれも能登一円に支配権を及ぼした人物であり、一大勢力の古墳群であったと推測される。