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嵐山町

上土橋古墳群

埴輪が多数出土した?

古里古墳群に属し、嵐山町の北端の比企丘陵に築かれた大規模古墳群です。10支群にわたって分布し、上土橋古墳群は、そのうちの一つとなります。ちなみに支群は、清水、二塚、上耕地、神山、藤塚、尾根西、尾根、駒込、上土橋、北田にわかれています。

古里古墳群

大規模古墳群

嵐山町の北部、比企丘陵端に位置する大規模な古墳群で、10支群にわたって分布します。支群は、清水、二塚、上耕地、神山、藤塚、尾根西、尾根、駒込、上土橋、北田にわかれています。  6号墳は、道沿いにあるので目につきやすく、墳頂に社が建ってます。

古里尾根古墳群

多くの埴輪で賑わっていた

10支群からなる古里古墳群に属し、そのうちの一つがこの古里尾根古墳群です。5号墳からは、円筒埴輪列、馬形埴輪などが出土。10号墳は、径25mの円形で、墳丘は失われていましたが、埴輪片が多数発見され円筒埴輪、人物、馬を象った埴輪が並べられていたことがわかってます。

天神山古墳群

2号墳は切石の整美な石室

長沼川左岸、菅原台丘陵に10基の円墳で構成された古墳群です。墳丘規模は、径10~15mの円墳4基(1号墳~4号墳)と径5~7mの小円墳6基が分布する。小円墳においては後世の塚の可能性があります。  2号墳は、径15mの円墳で胴張の横穴石室が開口する。小型であるが、切り石の整った印象を持つ。天井石は、凝灰岩の1枚岩を使用し内側は平面加工されているが、外側はかまぼこ型に加工されている。これは東松山市の若宮八幡古墳と類似する。しかしながら、埴輪が確認されてないことから時代は下り7世紀初頭と推測される。

寺山1号墳

裏庭にひっそり

都幾川の北側の段丘上、都幾川と嵐山バイパスとの間に女性教育会館があります。広大な敷地を有し、建物の裏庭に径11mの円墳が残ってます。かつては、8基の古墳群を形成していた。2号~8号墳には、周溝があって土橋が架かっていたので、この1号墳も周溝があると思われます。主体部は、7号墳にて川原石の乱石積み胴張りの横穴石室が確認される。庭自体は手入れがされているようですが、墳丘自体は藪状態です。

山王古墳群

鎌倉街道が縦断します

都幾川の北側の段丘上、オオムラサキの森を中心に多くの古墳が分布していたようです。現在は、14基の円墳が残り、鎌倉街道が通り抜け、菅谷館などの史跡、自然に恵まれた場所でもあります。  古墳群は県立松山高校によって実測調査が行われ、主体部は天井石を緑泥片岩を用い、川原石を主体とした横穴石室ではないだろうかと推測される。出土遺物は、太刀、鉄鏃が出土したと伝わっています。

峠の平古墳群

峠の墳丘

鎌倉街道の笛吹峠、標高67mの嵐山町と鳩山町の町境にある古墳群です。古墳群は2基で構成され、1号墳は、径9.5m、高さ2.5m円墳で出土遺物は大刀の伝承がある。2号墳は、径25m、高さ2.5mの円墳で峠の駐車場建設の際に墳丘の一部は削平される。
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月の輪古墳群(屋田古墳群)

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清水古墳群

なんとか2基確認

10支群からなる古里古墳群に属し、そのうちの一つがこの清水古墳群です。嵐山郷という福祉施設の敷地内にあって、厳重に金網等で囲まれている。外からだと2基の円墳がなんとか確認できました。周辺の古墳群から、古墳時代後期の築造が推定される。

白山古墳(東昌寺1号墳)

東昌寺古墳群の1基

菅谷台地北端に分布する古墳群で、かつては東昌寺境内にかけて多くの墳丘が分布していました。白山古墳は、東昌寺境内に残る2基の内のひとつです。  東昌寺1号墳(白山古墳)は、墓地中にあって径16m、高さ1.8mの円墳で主体部、出土遺物は不明となる。2号墳は、東昌寺裏の山林に残り、径13mの円墳で主体部、出土遺物は不明である。

稲荷塚古墳

緑泥片岩の美

女性教育会館の北側、南に開口する胴張りの横穴石室を備える。石室は、羨道を失ってますが、緑泥片岩の割石を丁寧に小口積した美しい仕上がりです。周溝が確認され、その周溝に葺石利用された礫が多数確認されている。古くから開口していた為、出土遺物は伝わってない。築造年代は7世紀後半と推定される。
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花見堂古墳群

鬼鎮神社周辺に6基分布

菅谷台地の北端、鬼鎮神社の周辺に6基分する古墳群です。1号墳と2号墳に関しては、昭和47年に発掘調査が行われている。そして、昭和58年の分布調査では3号墳と4号墳を花見堂東遺跡1号墳、2号墳、また、5号墳と6号墳を岩花古墳群1号墳、2号墳と改めている。
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