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戸塚区

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富士山古墳

屈指の埴輪大量出土

臨済宗正福寺の裏山、標高およそ50mの丘陵に位置する当古墳は、鎌倉時代から認識されていたようで富士山と呼ばれていた。そしてこの富士山の前に富士庵という屋敷を構えていたようです。  現在は全くと言ってよいほど面影もなく、平成元年に発掘調査が行われた時には、東側の墳丘は削平され、埋葬施設も確認されていない。墳丘があったとされる所には石碑が建てられている。  しかしながら、西から南側にかけて幅2mほどの周溝が確認され、大量の埴輪が出土している。その埴輪の特徴から築造年代は、西暦550年前後と推測されている。

東野台古墳群

前期の前方後方墳

阿久和川と名瀬川とが合流する北側丘陵に位置する3基から構成される東野台古墳群です。築造順は、3号墳(方墳)、2号墳(前方後方墳)、1号墳(方墳)となっており、4世紀後半の築造と推測されます。現在、2号墳の前方後方墳は塚廻公園内に保存され、周辺地域で貴重な存在となってます。  また、発掘調査した際には、縄文、弥生、古墳時代の竪穴式住居も見つかっております。

冨塚古墳

「戸塚」地名由来の古墳

冨塚八幡宮の境内にある短い前方部を南東方向に向けた全長32mの前方後円墳です。  詳しい発掘調査は行われていませんが、測量調査から帆立貝式古墳の規格とも異なる前方部のような張り出しを持つことから狛江市の亀塚古墳、横浜市の綱島古墳と類似すると推測されている。  神社の伝承によると富属彦命(とつぎひこのみこと)の墳墓と伝わり「冨塚」と呼ばれ、「トツギヒコ」から「戸塚」という地名になったとも言われる。
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