現在は、単独で畑の中に存在していますが、もとは古墳群を形成していたと考えられています。 墳丘規模は、径20mの高さ3.5mほどの円墳で、一部が削平されている。5世紀の中葉の築造と推測される。
白山神社に位置する横穴墓で、社に向かって右手に大きく開口しているのですぐわかります。 玄室の形状は、名前の通り屋根を模した妻入り型の切妻屋根の浮き彫りを施しています。奥壁側には、棺座が確認でき、壁面には朱が残っていると言うことです。築造年代は、奈良時代に入ると推測されます。
中世の義士の塚だという伝承があったが、畑の中に東西に並んだ円墳ということがわかりました。 東側の塚は、径4m、高さ1.5m、西側の塚は、径6m、高さ2mできれいな形を残しています。主体部など他詳細は不明です。