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厚木市
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墳活マップ
下依知古墳群
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いくつ見つけられる
国道129号線沿いの東西に分布する古墳群で、ほとんどが石材散乱するなど明確なマウントを残しているものが少なく、田畑や住宅地の中にひっそりと影を潜めてしまっていたり、溶け込んでいるものが多い。 別枠で紹介するが、三基の埋葬施設が確認され斜縁四獣鏡が出土した前方後円墳(円墳)の吾妻坂古墳(123号)、方墳の大久根古墳(126号)なども古墳群に含まれる。
中依知古墳群
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いくつ見つけられる
国道129号線沿いの東西に分布する古墳群で、ほとんどが石材散乱するなど明確なマウントを残しているものが少なく、田畑や住宅地の中にひっそりと影を潜めてしまっていたり、溶け込んでいるものが多い。 そういったなかでも、58号墳(消滅)では、副葬品の直刀二本が刃の先端を下に奥壁に立てかける興味深い風習が確認されている。 周囲の状況が刻々と変化していく中で、住宅の隙間になんとか痕跡を残すもの、田畑と同化しそうなものまで、ゆっくりと散策するのも楽しみ方のひとつと思われます。
吾妻坂古墳
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前方後円墳なら100m級
道路建設に際に発見され発掘調査が行われた。現在は、擁壁で補強されるなど墳丘の原型はとどめていないが、円墳とも前方後円墳とも推測される。円墳すると径55mを超える大型円墳、前方後円墳とすれば100m級となる。7~8mに及ぶ割竹型木棺が確認されていることから、真土大塚山古墳に後続する前方後円墳の可能性もあります。(依知地区123号墳) 主体部は、割竹型木棺2基、組合せ式木棺1基が確認され、副葬品として斜縁四獣鏡をはじめ多くの出土遺物が出土している。4世紀末~5世紀初頭の築造と推定される。
地頭山古墳
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墳丘真下を246号が奔る
相模最大級となる全長72m(後円部径36m、高さ7m、前方部幅24m、高さ4m)の前方後円墳は、国道246号線建設の際に発見される。丘陵の先端に築かれ、前方部を北に向ける。 墳丘の下を半トンネル状にし、1日何台もの車が行き交っている。ほとんどの車は、古墳の下を通過しているとは気が付いていないと思われますが、文化財保護の苦労が感じられる。 詳しい発掘調査は行われていない為、埋葬施設、出土品は確 認されていない。築造年代は、墳丘の形から4世紀後半から5世紀の中葉と推測される。
大久根古墳
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厚木地域最古級
現在、大久根公園に整備保存され1辺18~19mのほどの墳丘と推測されるが現状は、かなり小さく見える。埋葬施設は未調査のため不明、出土遺物は土師器壺が出土しており、築造年代は4世紀後半~5世紀前半の築造と推測される。厚木周辺域最古級とされる当古墳のすぐ北側の大久根遺跡からは、弥生時代の方形周溝墓が見つかり、関連性が大きく期待できる。
天神山古墳
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相模最大級の円墳
住宅地に囲まれた児童公園に残る墳丘は、現状は径31~35m(公園整備前37m)、高さ5.5m、周溝幅5mの円墳で最大級の規模を誇ります。 詳しい調査が行われていないが、埋葬施設は木棺直葬で、築造年代は5世紀代と推定される。
山ノ上古墳群
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複合遺跡群の墳丘
縄文時代から中世まで、住居跡、火葬墓、そして径10~15mほどの円形状の墳墓群が確認され、複数の遺跡群の中の古墳群です。墳墓群は、築造年代が当古墳群と同時期の5世紀後半~6世紀前半というので墳丘流失した古墳という見解もされている。 古墳群は、住宅団地内に保存された2基の古墳群で、1号墳は推定35mの円墳とされ詳しい調査は行われていない。2号墳は15.6m×12.5mで段築のついた方墳で、墳頂に2基の埋葬施設が確認されている。築造年代は、5世紀後半と推測。
愛甲大塚古墳
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前方部は平安期に宅地化
径45m(現状30~35m)ほどの円墳と考えられてきたが、調査によって周溝が確認され、推定全長80~90mほどの前方後円墳と判明する。前方部はすでに平安時代に破壊され、住居跡が確認されている。現在でも周辺は宅地化が進み、現状は木が生い茂り墳丘とは分かりづらい状態となっている。 埋葬施設は、おそらく竪穴が推定される。出土遺物は、鉄鏃、土器片が出土する。築造年代は、4世紀代までさかのぼると考えられる。
登山古墳群
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埴輪が大量出土
畑を造成中に大量の埴輪が発見されたことにより本格的な調査が行われた。現在は、2号墳から5号墳が史跡公園として保存されている。(1号墳は発掘調査後消滅) 1号墳からは、家形埴輪、武人埴輪、力士埴輪や円筒埴輪が出土し、神奈川県下では珍しく、埼玉の複数の埴輪窯で製作されたと推測されている。 各古墳の築造年代順は、4号墳が4世紀代に築造が開始され、そして3号墳、2号墳、5号墳、最後に6号墳が築造されたと考えられる。
稲荷山1号墳
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主体部は木棺か?
仲道公園のとして、墳丘の一部は削平されたが保存されている径35m~40mほどの大型円墳です。(依知地区99号墳) 周溝が巡っており、発掘調査では、そこから多くの土師器片が出土している。埋葬施設は、石室石材が確認されていないので横穴石室ではなく、木棺直葬ではないかと推測される。築造年代は、5世紀代と推定。
鷲尾古墳
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複合遺跡群中に残る墳丘
縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代と多くの遺跡が重なり合った複合遺跡であったが、区画整理事業のため鷲尾団地として開発整備され、その一角の公園内に古墳は残っている。別名、天台古墳という。 墳丘は、径33mの円墳で3mほど周溝が巡っていたとされるが、現在は削平され径20mほどの不整形となる。詳しい発掘調査は行われていないので、埋葬施設等などについては不明。
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