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鶴見区

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兜塚古墳

太田道灌の夢見伝説

鶴見川を挟んで夢見ケ崎公園の加瀬台古墳群と対峙する位置にある古墳です。現在は、古墳らしい面影は見れないが径30m、高さ2.5mの円墳でした。   昭和の初め頃、長慶天皇陵墓という説から発掘が行われ、内部が小石を敷いた礫床が確認されている。出土遺物は、青銅渡金の金環、瑪瑙勾玉、水晶切子玉が出土。築造年代は、6世紀代と推定される。  兜塚の名前の由来には、墳形が兜に似ていることから呼ばれたと言われている。また、これとは別に太田道灌が江戸城の支城として各地を検分し、対岸の夢見ヶ崎(加瀬台)を候補地として一夜を過ごした。夢の中で、どこからか飛んできた鷹が兜をさらって飛び去った。そして、その兜をこの地に落としていったと言う。 道灌は、不吉として城の築城をやめ、夢見ヶ崎と呼び、鷹が兜を落とした場所に兜を埋納した。そして、兜塚と呼ばれる。(参考資料 神奈川の古墳散歩)
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