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高津区

下作延稲荷塚古墳

馬型埴輪が出土

緑ヶ丘霊園という墓地中に残る古墳で、墳丘自体には稲荷社が祀られている。規模は、径27m、高さ2.9mの円墳です。出土遺物は、円筒埴輪、馬型埴輪、須恵器、土師器などが出土。築造年代は、6世紀後半と推測される。

子母口富士見台古墳

ヤマトタケルの伝承墳

現状は径17.5m、高さ3.7mの円墳状だが、もとは方墳でした。未発掘の為、詳細は不明。  古墳の近くには、橘樹神社という弟橘媛と大和武尊を祀る神社があります。社伝には、「日本武尊が東征の際、相模から海路で上総まで向かっていた。ところが、海は荒れ狂い、行く手を塞ぎます。そこで、弟橘媛は荒れる海中に身を投じて海を鎮めました。やがて、入水した媛の御衣、御冠の具だけがこの地に漂着しました。」と伝わる。そして、古事記には「かれ7日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。すなわちその櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」と伝えています。  弟橘媛の古墳であるか定かではないが、興味深い伝承です。

宗隆寺古墳群

閉ざされた古墳群

宋隆寺の西の丘陵、墓地の奥に分布する3基からなる古墳です。基本的に一般の人は近づくことすらで許されず、固く閉ざされた古墳群なのです。  古墳自体は未調査で、主体部や築造時期などは不明。墳丘は3基とも円墳で、1号墳は径9.5m、高さ1.3m、2号墳は東西径15.5m、南北径20m、高さ1.2m、3号墳は、径19.5m、高さ1.2mの規模となる。  古墳群の墓地からの入り口は、お寺の許可がないと入れません。やっとの思いでたどり着いた住宅地の入り口も施錠されていました。(参考 神奈川の古墳散歩)

宮崎大塚古墳

築山の方墳

当初は、径25m、高さ4mほどの円墳と考えられてましたが約27.2m×24.8m、高さ4.7mの方墳と判明しました。現状は、築山状態で階段がついており墳頂部には「馬絹大塚供養塔」の石碑が建っています。
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西福寺古墳

THE 円墳

これぞ円墳という綺麗な形が公園内にあります。規模は、径35m、高さ5.5m、周溝幅6~7.5m、深さ80cmで、周溝からは円筒埴輪片、水鳥の埴輪が出土している。本格的な調査はされていませんが、主体部は横穴石室と思われ、築造年代は出土している埴輪から6世紀中葉と推測される。
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