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毛呂山町

大類古墳群

前方後円墳の密集地

越辺川の右岸段丘上に毛呂山町と坂戸市にまたがって分布する古墳群です。坂戸市側を塚原古墳群、毛呂山町側を大類古墳群と呼び、総称で、若林古墳群と言われます。前方後円墳5基、円墳47基が現存する。  1号墳は、「長塚」「将軍塚」「観音塚」との呼ばれ、全長24.2mの小型の前方後円墳です。墳形は、かなり変形をしており、前方部を南東に向けている。2号墳は、全長26mの前方後円墳で開墾によって削平を受け、わかりずらいが前方部を南に向ける。現在でも墳丘には葺石の川原石が残る。

川角古墳群

広範囲の小円墳群

越辺川の右岸、毛呂山台地の北東端に分布する38基から構成される小円墳群です。どれも規模は20mを超える墳丘はなく、6号、8号、15号、18号、22号墳は横穴石室が確認されているが、現在は、8号墳で一部石材が確認できる程度となる。そのうち6号墳と15号墳が発掘調査され、両方とも川原石を用いた横穴石室であることが確認されている。  古墳群の中には、埼玉県指定文化財である立派な延慶の板碑が1号墳の横に建っています。
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西戸古墳群

2号墳移築復元

越辺川の左岸に築造された14基からなる古墳群です。  現在、民俗資料館前に移築されている2号墳は、「往生塚」と呼ばれ地元の方々によって発掘がされ、その様子が墳丘に建立した石碑に記されている。古墳群の中では、主墳と位置づけられ、8世紀まで度々追葬が行われた。墳丘中腹に直線的石列があることから方墳の可能性が指摘されている。石室は、緩い胴張り両袖の横穴石室で、凝灰岩質砂岩の切石積み加工した整った石室です。築造年代は、7世紀初頭と推測される。
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