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加美町

兎の塚古墳
三羽の古兎伝説
兎の塚は、川端・下中山・八井谷と3基があります。その兎の塚という名の由来には「三羽の古兎伝説」が関係しています。
「昔、村の大池に大きな蛇が棲んでおり、通る人を襲ったり馬や牛を飲みこんで村の人々から恐れられていました。この噂を聞いた帝(みかど)は勅命を出し、弓の名手である日下部政高に大蛇を退治するよう命じます。大蛇退治に向かったところ、3羽の古兎が現れて大蛇を退治させまいと政高の行く手を阻んできました。邪魔をする古兎たちは弓であっという間に退治され、その勢いで大蛇も退治され一件落着。
その後、殺された兎が化けて村の人々をたたり始めたので、村人たちは相談して兎の霊を鎮めるため、塚(お墓)を作ることにしました。下中山、川端、八井谷の3カ所にお墓を作り、それぞれ厚く霊を祀ったところ、たたりはなくなりました。
そこからこの地域を「兎塚」と呼ぶようになったといわれています。」(但馬の百科事典抜粋)
3基のうち、横穴石室が開口する下中山のを兎の塚を見学しましたが、現在、開口部は塞がれています。

八幡山古墳群
三角持送式天井
八幡山丘陵尾根上の福岡集落を見下ろす南東斜面に一直線上に分布する古墳群で、兎塚学びの里八幡山公園として整備保存しています。
当古墳群最大は、径22m、高さ3mの4号墳となる。埋葬施設は、未調査のため不明。ほか3号・5号・6号墳で、埋葬施設が竪穴系横口式石室であることが確認されている。中でも5号墳では「三角持送式天井」と言われる高句麗の影響を受けた構築方法を用いている。さらに両側壁の低位置に4個の石棚を配置しています。
6号墳からは鏡、環頭太刀、勾玉、管玉、小玉、須恵器(壺、高杯、蓋杯、坩、提瓶、皮袋形土器)、土師器(耳状把手付高坏、高坏)などが多く出土する。築造年代は、5世紀末~6世紀前半と推定される。
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