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加美町

三の谷古墳群

重なり合う2羽の鳥

矢田川の上流域、矢田川に流れ込む支流の湯舟川左岸に分布する古墳群です。東側丘陵麓には、前方後円墳の高井古墳が位置します。  1号墳は径12mほどの円墳で、南東方向に横穴石室が開口します。開口部に近い右側壁に、縦横に交錯する線と重複するように2羽の鳥と見られる線刻が確認できます。  2号墳は、1号墳から更に谷奥へと進んだ径15mほどの円墳です。埋葬施設は、南東方向に開口する横穴式石室で、石室が露出し奥壁側の両側壁も失っている。こちらにも、側壁数ヵ所に複雑に交錯する線が描かれ、V字や交差する線の幾何学模様が確認されています。

はじき口古墳

矢田川流域山間部にあり

矢田川の東岸、香美町小代区の丘陵上に位置する円墳です。  墳丘規模は、径10m、高さ2mほどと小型ですが、形の良い形状が残ってます。埋葬施設は、長さ4.3m、幅1.5m、高さ1.3mの横穴石室で、左側壁がかなり内側に撓んでいる。出土遺物は、紡錘車が出土。築造年代は、古墳時代後期と推定。

神ナシ古墳

側壁に線刻

加美町村岡区高井、兎和野高原オリエンテーリングのコースになっている古墳です。  墳丘は不明ですが、右袖式の横穴石室が開口しており、板石状の石材を立てることで、右袖部としています。左側壁には、線刻壁画が描かれています。(撮り忘れて画像なし)他詳細は不明。

高井古墳

高井集落の前方後円墳

加美町村岡区高井、三之谷1号墳のある丘陵東麓の集落内に残る全長60mほどの前方後円墳です。左右に民家が迫っており墳丘が削平されていますが、墳形はわかる程度に残ってます。他詳細は、未調査のため不明。

文堂古墳

総点数168 点の出土

高井集落を見下ろす丘陵斜面に位置する円墳で、種類が豊富で保存状態も良い副葬品が出土しています。  主体部は、南に開口する両袖式の横穴石室で、全長10.4m、玄室部長4.63m、幅2.05m、高さ2.15mを測ります。奥壁には一枚岩を使用しており、床面には平状の敷石が敷かれている。  出土遺物は、金銅装頭椎太刀、金銅装環頭柄頭、金銅装方頭柄頭、直刀、珠文鏡、馬具、鉄鏃、刀子、鉄釘、金環、勾玉、ガラス玉、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半推定される。

兎の塚古墳

三羽の古兎伝説

兎の塚は、川端・下中山・八井谷と3基があります。その兎の塚という名の由来には「三羽の古兎伝説」が関係しています。  「昔、村の大池に大きな蛇が棲んでおり、通る人を襲ったり馬や牛を飲みこんで村の人々から恐れられていました。この噂を聞いた帝(みかど)は勅命を出し、弓の名手である日下部政高に大蛇を退治するよう命じます。大蛇退治に向かったところ、3羽の古兎が現れて大蛇を退治させまいと政高の行く手を阻んできました。邪魔をする古兎たちは弓であっという間に退治され、その勢いで大蛇も退治され一件落着。 その後、殺された兎が化けて村の人々をたたり始めたので、村人たちは相談して兎の霊を鎮めるため、塚(お墓)を作ることにしました。下中山、川端、八井谷の3カ所にお墓を作り、それぞれ厚く霊を祀ったところ、たたりはなくなりました。 そこからこの地域を「兎塚」と呼ぶようになったといわれています。」(但馬の百科事典抜粋)  3基のうち、横穴石室が開口する下中山のを兎の塚を見学しましたが、現在、開口部は塞がれています。
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八幡山古墳群

三角持送式天井

八幡山丘陵尾根上の福岡集落を見下ろす南東斜面に一直線上に分布する古墳群で、兎塚学びの里八幡山公園として整備保存しています。  当古墳群最大は、径22m、高さ3mの4号墳となる。埋葬施設は、未調査のため不明。ほか3号・5号・6号墳で、埋葬施設が竪穴系横口式石室であることが確認されている。中でも5号墳では「三角持送式天井」と言われる高句麗の影響を受けた構築方法を用いている。さらに両側壁の低位置に4個の石棚を配置しています。  6号墳からは鏡、環頭太刀、勾玉、管玉、小玉、須恵器(壺、高杯、蓋杯、坩、提瓶、皮袋形土器)、土師器(耳状把手付高坏、高坏)などが多く出土する。築造年代は、5世紀末~6世紀前半と推定される。
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