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益子町

小宅古墳群

6基の前方後円墳含む

 小貝川に流れ込む小宅川の右岸丘陵上に分布する古墳群で、前方後円墳6基、円墳29基、計35基から構成されます。墳丘は、国道123号線の亀岡八幡宮の西側に広がります。
 6世紀前半の向北原古墳群に続いて築造され、小規模ながら6基の前方後円墳を含み、7世紀に入っても比較的に大きめの円墳を築造する。埋葬施設は、芦沼石を使用した横穴式石室を主体部とする。築造年代は、6世紀の後半~7世紀代の築造。(参考 探訪とちぎの古墳、益子町HP)
 現在、亀岡八幡宮から古墳群周辺は、散策路などが整備され大変に見学がしやすくなっております。

入定塚古墳

前方後方墳?

 小貝川の東岸、円通寺の西の尾根上にある前方後方墳で、古墳名を刻んだ石柱も建てられている。前方部と後方部との高低差があまりなく平たい印象を持つ。また、前方後円墳の可能性もあります。
 墳丘には、葺石、埴輪などは確認されていない。築造年代は、定かではないが古墳時代中期から後期と推定される。

天王塚古墳

豊富な副葬品

 鶏足山から西に延びる丘陵の頂部に位置する前方後円墳で、南西斜面一帯に28基から成る荒久台古墳群を形成する。群中では、最高所にあるので丘陵麓からは少々歩かなくが、見ごたえのある石室が開口する。
 墳丘は、全長43mで幅4~5mほどの周溝が巡り、葺石が認められ、埴輪も伴っている。埋葬施設は後円部南に開口する全長6.85mの無袖式の横穴式石室で、石材は硬砂岩を使用した平石積となっている。
 副葬品は、玉類、武器、武具、馬具、鏡など多種多様な出土品が見られる。築造年代は、5世紀後半~6世紀前半と推定。

山の神古墳

中型円墳

 小貝川の右岸に残る径38mほどの中型円墳です。他詳細は不明

浅間塚古墳

校庭に残る前期墳丘

 小貝川右岸の舌状台地の東端に位置する前方後方墳で、栃木県立益子芳星高等学校の校庭の南にはっきりとした墳丘が残ってます。
 墳丘規模は、全長52m、一辺28m、高さ4m、前方部長24m、幅20m、高さ3.5mを測り、前方部を東に向ける。詳しい調査は行われていない為、埋葬施設などについての詳細は不明。築造年代は、周辺地域の前方後方墳がすべて古墳時代の前期のものであることから、当古墳も古墳時代の前期と推定される。(参考 探訪とちぎの古墳)

西坪古墳群

芦沼石の切石の石室

 国道294号線の北側、小宅地区に舌状に張り出す緩斜面に分布する古墳群で、前方後円墳1基と円墳3基から構成されます。1号墳(古塚)と3号墳(石塚)で石室が開口してましたが、震災の影響を大きく受けてます。
 1号墳は、一番の高所にある円墳で、凝灰岩(芦沼石)の切石で造られた横穴石室が南に開口する。現状は、震災で開口部が埋没。2号墳は、民家裏に墳丘のみ確認することができる。3号墳は、南端に位置する前方部を西に向ける前方後円墳で、芦沼石の切石を使用した胴張りの横穴石室が開口する。こちらもまぐさ石が崩落寸前の状態で震災の影響が見られる。築造年代は、7世紀の初め頃と推定。

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風戸塚古墳

未調査墳丘

 小貝川左岸の微高地に位置する円墳で、昔は見通しが良ったようだが、現在は杉が植林され墳丘は薄暗い中に残っている。
 墳丘規模は、径35m、高さ4mので、墳頂部は平坦な截頭円墳を成す。未調査の為、埋葬施設などの詳細は不明。築造年代は、古墳時代の後期と推定。

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