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坂出市

沙弥島千人塚遺跡

遺跡の宝庫

沙弥島は、かつて瀬戸内海に浮かぶ島で、縄文時代から古墳時代まで長きにわたって営まれた複合遺跡群となっています。現在は、埋め立てられ陸続きになっており、瀬戸大橋を眺めることができる瀬戸大橋記念公園としても整備されています。  遺跡群の中で代表的なのは、縄文時代前期末頃から古墳時代のナカンダ浜遺跡です。縄文時代では、4500年の間、周辺域の島々の中心的な役割を担う村が存在していたと考えられます。弥生時代後期から古墳時代後期にかけては、製塩遺跡として知られ、多くの製塩土器が出土しています。また、県下でもあまり類例のない古墳時代のドーム状を呈した製塩炉と敷石によって作られた炉の2基が確認されています。  島の北西丘陵端では、弥生時代後期の長崎鼻石棺が確認されています。石棺石材は、側壁に花崗岩、蓋石に板状安山岩を用いています。出土遺物は、棺内から銅鏃が出土。棺外からは、弥生時代後期の土器片が出土しています。  吉野山には、方墳の千人塚を中心に、組合石棺、竪穴小石室、横穴石室を有する墳墓群が分布しています。坂出市万葉会館では、沙弥3号墳の横穴式石室が屋外展示されています。  ナカンダ浜を見下ろす西丘陵上には、白石古墳が位置しています。横穴式石室が露出しており、天井石が崩落して状態がよくありません。築造年代は、6世紀末~7世紀初と推定される。

爺ヶ松古墳

前期の積石塚

金山の東側、綾北平野を見下ろす丘陵上に築かれた積石塚前方後円墳で、北側丘陵にハカリゴーロ古墳が位置しています。  墳丘規模は、墳長49.2m、後円径25.4m、高さ3m、くびれ幅10.1m、前方部長23.8m、幅18m、高さ1.7mを測り、前方部が撥型に開く古式の形状を成しています。埋葬施設は、長さ5.7m、幅0.9~1m、高さ1.3mの竪穴式石室で、天井石を失って開口しています。  出土遺物は、鉄器片、ガラス製小玉、土師器が出土。築造年代は、3世紀末と推定される。

ハカリゴーロ古墳

ハカリの積石

金山の東側、綾北平野を見下ろす丘陵上に築かれた前方後円墳です。変わった古墳名の由来は、大きな岩が堆積したところをゴーロと呼び、墳丘がハカリに載せられた積石に見えたことから付けられたとされます。  墳丘規模は、全長45m、後円部径25.7m、高さ1m、くびれ部幅7m、前方部長19.3m、幅11m、高さ0.5mを測り、安産岩を積み上げて構築される。埋葬施設は、後円部墳頂に竪穴式石室(第一主体部)と後円部裾に小型の竪穴式石室(第二主体部)が確認されている。第一主体部は、長さ3.7m、高さ1m、幅0.7~0.9mを測ります。石室石材は、花崗岩と安山岩を用いており、天井石にはヘビ貝が付着していることから付近の海岸から運ばれたと考えられています。  出土遺物は、第1主体から内行花文鏡、鉄鏃が出土。築造年代は、4世紀代と推定される。

鴻ノ池古墳群

幻となった石室

綾川の右岸、烏帽子山の南麓に位置する5基から成る古墳群です。付近にはサギノグチ古墳群、穴薬師古墳、山の神古墳群が分布します。  現在は、1号から3号墳が池の中に沈んでおり全容を見ることができません。1号墳は、わずかに玄門上部を覗かせているいる程度となってます。4号、5号墳は、池の北側の畑に横穴石室が露出しています。

サギノクチ1号墳

木の葉塚古墳

綾川の右岸、烏帽子山の南麓に位置する古墳で、付近には鴻ノ池古墳群、穴薬師古墳、山の神古墳群が分布します。木の葉の線刻壁画が描かれていることから別名「木の葉塚古墳」とも言われます。  墳丘規模は径10m、高さ2.8mの円墳です。埋葬施設は、安山岩を用いた両袖式の横穴石室で、玄室長4m、幅1.4m~1.8m、高さ2.15m、羨道部長3.2m、幅1.5mを測ります。線刻壁画は、側壁の2段目、3段目に多くの木ノ葉、舟、家屋などが描かれています。

山の神2号墳

線刻あり

綾川の右岸、烏帽子山の南麓に位置する古墳で、付近には鴻ノ池古墳群、穴薬師古墳、サギノクチ古墳群が分布します。  墳丘が流失しており、両袖式の横穴石室が露出している。規模は、長さ2.5m、幅2m、高さ2m測り、奥壁側が開口する。そして、左側壁には、木の葉と殯屋らしき線刻壁画が描かれています。

穴薬師古墳

綾織塚

綾川の右岸、烏帽子山の南側斜面に位置する古墳で、付近には鴻ノ池古墳群、山の神古墳群、サギノクチ古墳群が分布する。むかし綾織姫が渡来したことから、別名「綾織塚」と呼ばれている。  墳丘は、径14mほどの円墳となる。埋葬施設は、西向きに開口する安山岩を用いた両袖式の横穴石室で、玄室長7m、幅2.5m、高さ2.8mを測り、市内最大級を誇ります。  当古墳は、南側に点在する多くの古墳よりも立地や石室規模から、優位性をもって構築されており、当地域でかなり有力な首長の墳墓であったと考えられます。

醍醐古墳群

十数基の方墳群

綾川の左岸、醍醐山地から派生する舌状台地の南東斜面、東西約150m・南北約50mの範囲に分布する20基ほどの古墳群です。8つの小支群に分かれ、斜面上段には比較的に小さな石室のみが築かれています。  20基のうち14基が調査され、墳丘が残っているものは全て方墳で、.周溝が巡っています。埋葬施設は、横穴式石室で、両袖式、片袖式、無袖式の形態が存在する。そして、11号墳を除いて単葬墓と考えられる。  出土遺物は、金環、銀環、鉄鏃、鉋、刀子などの鉄製品、高杯、平瓶、提瓶、𤭯、器台、壺などの須恵器が出土している。築造年代は、出土した須恵器などから時代差がないことから、7世紀前半と推定される。
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新宮古墳

県下屈指の巨石墳

綾川の右岸、舌状の尾根先端部に築かれた古墳で、以前は円墳とされてましたが調査が行われた結果、方墳と判明しました。  墳丘規模は、一辺20m(現状径17m、高さ3.1m)ほどですが、削平され変形している。埋葬施設は、西に開口する花崗岩を用いた複室構造の両袖式横穴石室で、胴張りの平面に持ち送りが見られる。石室規模は、全長12m超を測ります。県下屈指の規模を誇り、綾北平野に築かれる巨石利用石室の先駆けとなる。  出土遺物は、須恵器平瓶、須恵器杯の破片が採取されています。築造年代は、6世紀末と推定される。
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