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大田原市

上侍塚古墳

那須地方最大規模

那珂川右岸の段丘上に位置する大型の前方後方墳で、下侍塚古墳の南に美しい墳丘ラインを残してます。水戸黄門で有名な「前(さき)の副将軍」、水戸光圀の命により下侍塚古墳とともに発掘調査されました。  墳丘規模は、全長114mを測り那須地方最大規模を誇ります。墳丘西側では、周溝も認めれ、令和に入っての調査では葺石も検出される。  埋葬施設は、後方部墳頂に粘土槨と考えられています。副葬品は、鏡、装身具、鉄製品(武器)、土師器などが出土。その後、出土品は、絵師が図をとって箱に納め、その箱を八尺下に埋めたとあります。築造年代は、4世紀末と推定される。

下侍塚古墳

日本初の学術的発掘調査

那珂川右岸の段丘上に位置する前方後方墳で、県道294号線沿いに美しい墳丘ラインを残してます。  江戸時代に那須国造碑の発見に伴って水戸黄門で有名な「前(さき)の副将軍」、水戸光圀の命により上侍塚古墳とともに発掘調査されました。これが学術的な意味における日本初の発掘調査でした。   墳丘規模は、全長84mを測り、葺石も認められ、周溝も巡っていました。  埋葬施設は、後方部墳頂に木棺直葬(粘土槨)と考えられています。副葬品は、鏡、鉄製品(武器)、土師器などが出土。また、西側周溝から葬送儀礼に使用する朱の付着した底部穿孔有段口辺壺が出土。その後、出土品は、絵師が図をとって箱に納め、その箱を八尺下に埋めたとあります。築造年代は、4世紀末と推定される。

銭室塚古墳

金銀珍宝伝説

那珂川の左岸の段丘上に位置する円墳で、段築の付いた墳丘が田んぼの中に残ります。金銀珍宝を石室に埋めたという言い伝えから、銭室塚と名付けられたそうです。  墳丘規模は、径26m、高さ4.5mで、2段築成の円墳(帆立貝式)で葺石、埴輪を備える。埋葬施設は、南に開口する両袖式の横穴石室で、羨道は埋没してますが、全長8.85m、玄室長6.35m、奥壁幅1.2m(最大幅2m)、高さ1.45m、羨道長3mを測り、胴張りの形状です。築造年代は、6世紀後半と推定。

上侍塚北古墳

上侍塚に隣接

上侍塚古墳の北方50mほどの所に位置する前方後方墳で、一部墳丘は損なわれているが比較的に良く残っている。  墳丘規模は、全長48.5m、後方部幅25m、高さ5m、前方部幅17m、高さ3mを測り、前方部を南に向ける。築造年代は、上侍塚古墳に近いとされる。

侍塚古墳群

現存8基分布

那珂川の流域、県道294号線沿いに美しい墳丘ラインを残す下侍塚古墳の北側に分布する古墳群で、前方後円墳1基、円墳6基、方墳1基の計8基で構成されます。田んぼの中に比較的良く残ってます。

観音塚古墳

良好な二段築墳丘

那珂川右岸の段丘上、二ツ室古墳のすぐ北側にある形の良い円墳で、もとは小船渡2号墳と呼ばれていました。  墳丘は、直径40m、高さ6mの2段築成の円墳で、墳頂やテラス上には埴輪が並べられ、10m幅の周溝も巡っていました。築造年代は、6世紀の後半と推定される。
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二ツ室古墳

二つの横穴石室

那珂川右岸の段丘上に位置する前方後円墳で、もとは小船渡1号墳と言われてましたが、石室が前方部と後円部にあることから二ツ室古墳と呼ばれるようになりました。現状は、埋め戻されたり、土嚢で塞がれたりで石室は見ることができません。  墳丘は全長46.5mで、前方部を西北西に向ける。埋葬施設は、後円部が南南西に開口する川原石積みの無袖式横穴石室で、全長7.13m、奥壁幅1.62mを測り、細長い印象を持ちます。前方部も同じく南南西に開口する無袖式横穴石室で、玄室長4.8mを測ります。築造年代は、6世紀後半から7世紀初頭と推定される。

蛭田富士山古墳

帆立貝式の墳形

箒川左岸の河岸段丘上にある帆立貝式前方後円墳で、周辺は円形周溝墓、円墳などで構成される古墳群を形成している。   墳丘規模は、全長40m、後円部径27m、高さ3.5m、前方部幅10.5m、高さ1.3mを測ります。詳しい調査は行われていませんので出土遺物などの詳細は不明。築造年代は、墳丘形状から5世紀末から6世紀前半の築造と推定される。
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