黄瀬川の左岸段丘上に位置する円墳で、都市計画道路沼津三島線の建設に伴って、移築復元されてます。別名「山ノ神古墳」・「 火の雨塚」とも呼ばれます。
墳丘規模は、径17m、高さ1.9mを測り、二重の外護列石が取り巻いてました。埋葬施設は、全長10.4mの無袖式横穴石室で、伊豆凝灰岩製の家形石棺とや木棺が納められていました。両棺は、原形をとどめていない状況で4人分の人骨が出土しています。
副葬品として、金銅装馬具2組(詳細は別記載)、圭頭大刀、銀象嵌装大刀、鉄鏃、鉾、飾弓、金銅製飾金具、玉類、須恵器、土師器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定される。