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館林市

富士山古墳

別名「赤羽村1号古墳」

城沼の南、花山町に位置する前方後円墳で、墳頂部に富士嶽神社が鎮座します。「赤羽村1号古墳」とも呼称されます。  墳丘規模は、全長65.1m、後円部高さ9m、前方部高さ3.9mを測ります。前方部は削平され、西側の板金工場にある松の木辺りまであったと言われてます。富士嶽神社古墳が同市内にありますが、間違いやすいので注意を要します。(参考 群馬県古墳総覧)

富士嶽神社古墳

面影なし

館林駅の南西、国道122号線沿いの東側にある古墳で、墳丘自体が富士嶽神社になっており、墳頂に社殿が建ち、周囲もコンクリートで固められ面影はありません。  墳形は、群馬県古墳総覧によると前方後円墳または円墳と記載されてます。未調査のため他詳細は不明。  館林市内には、もう1基花山町に前方後円墳の富士山古墳あり、そちらも富士嶽神社となっている為に混同しないように注意が必要です。

山王山古墳

前方後方墳?

城沼北岸の沖積台地上に位置する前方後円墳(前方後方墳)で、道路から一目で古墳とわかる形の良い墳丘が残ります。  墳丘規模は、現地説明板で全長約47m、後円部径37m、高さ5mの前方後円墳となってますが、群馬県古墳総覧では全長40mほどの前方後方墳と記載されてます。埋葬施設は、未調査ながら横穴石室と考えられ、刀と耳環が出土しており、隣接の善長寺に保管される。周溝から円筒埴輪、須恵器、墳丘から円筒埴輪が確認されてます。築造年代は、6世紀後半~7世紀初頭と推定。

愛宕神社古墳

青石地蔵板碑

西本町南会館のすぐ北側にある円墳で、墳頂に愛宕神社が鎮座します。墳丘中腹には、群馬県指定文化財青石地蔵板碑がガラスの中に大事に展示されてます。  墳丘自体は当時のままかどうかわかりませんが、そこそこの高さが残ります。墳頂社殿は、柵で囲われて扉が付き、施錠されてます。主体部は、未調査のため不明。
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渕ノ上古墳

地域で希少な馬蹄形

谷田川左岸の台地上に位置する円墳で、現在は詳しい発掘調査が行われ墳丘自体は消滅してるが、石室の平面形を模った石列を見ることが出来ます。  墳丘規模は、径30mほどで幅 2m、深さ1.3mの周溝が巡っていました。墳丘南東裾部からは円筒埴輪が確認され、この他、家形、人物、馬形の形象埴輪が出土している。埋葬施設は、南に開口する角閃石安山岩使用の両袖式横穴式石室です。玄室の平面形は馬蹄形を成し、谷田川流域で筑波山古墳、稲荷塚古墳でのみ見ることが出来ます。石室全長は 5.7m、玄室長3.2m、幅1.65m~2.63m、羨道長 2.55m、幅1.65mを測る。  副葬品は、直刀、金銅製耳環、鉄鏃、刀子、馬具、鉄斧、耳環が出土。築造年代は、6世紀後半と推定。(参考 淵ノ上古墳発掘調査報告書)

町谷古墳群

2基の古墳群

城沼の南東に分布する2基から成る古墳群です。2基とも状態は良くなく、離れて残存しています。  楠町字町谷にある1号は、径30mほどの円墳で、畑のコーナーに削平されてるが、そこそこ大きさを感じる墳丘が残ります。羽附旭町町谷にある2号墳は、墳頂に皇大神宮が鎮座しています。墳形など詳細は不明。(参考  群馬県古墳総覧)

高根稲荷大明神古墳

墳丘らしさ?

多々良沼の北東に位置する古墳ですが、高台になった全体が高根稲荷神社の境内となっていて、はっきりとした墳丘はわからないのが現状です。群馬県古墳総覧でも墳形については△となってます。  高台全体が墳丘の名残とすれば、かなり大きな墳丘の可能性も出てきますが、詳しい調査が行われていない為、未知数です。
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