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玉村町

ショウデンヤマ古墳

主体部が気になる

烏川左岸の台地上、宇貫集落内に残る円墳ですが、原形はとどめていないのが現状です。  墳丘には石碑、周囲には墓石が並んでいます。また、古墳と関連するかわかりませんが複数の巨石が確認できます。主体部など詳細は、未調査のため不明。

二ッ子山古墳

前方後円墳の可能性あり

利根川の右岸、利根川に合流する鳥川と利根川に挟まれた台地上に位置する円墳(前方後円墳)で、茂木古墳群に属します。  墳丘規模は、径36.3mほどですが墓地化しております。畑の中の高台に存在する墓地という印象です。埋葬施設は、未調査のため不明。

天神古墳

天満宮が鎮座

利根川に架かる福島橋から南に250mほどに天満宮があります。古墳は、その天満宮の社殿が墳丘上に鎮座し、土台となってます。現状、墳丘周囲を2段に石垣で固められているので、もとの墳形など他詳細は不明です。

小林山古墳

堤防状の墳丘

利根川右岸の台地上、箱石の少林山のお堂が古墳そのもとなり、細長い墳丘が残ってます。墳形は、前方後円墳でお堂の位置が後円部、前方部はかなり改変され、どこまでが前方部か不明です。他詳細は不明。  因みに、群馬県古墳総覧での表記は、「少林山」ではなく、「小林山古墳」になってます。
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小泉古墳群

泥流に埋もれた古墳群

利根川の右岸の台地上、玉村町南東部に位置する古墳群で、ほとんどの墳丘が浅間山噴火時の泥流に覆われ埋没しています。現在、20基ほどが確認され、10基が調査されてます。そのうち、大塚越3号古墳と長塚1号古墳から多くの埴輪と、豪華な副葬品が見つかってます。  大塚越3号古墳は、墳丘長46mを測り東西に主軸をとり、造出を前方部西側に備えます。2段築成の墳丘には川原石の葺石が小口積みに積まれる。そして、整然と配列された356本の埴輪列が確認されてます。埋葬施設は、角閃石安山岩を使用した両袖式の横穴石室です。副葬品は、装身具、単鳳環頭大刀などの武器、馬具、工具、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀中頃と推定。  小泉長塚1号古墳は、墳丘規模は判然としないが2段築成で川原石の葺石が施された墳丘ということがわかってます。埋葬施設は、両袖式横穴石室で石室前庭部は「ハ」の字型の形状し、埴輪列もそれに沿って樹立していました。副葬品は、装身具、単鳳環頭大刀などの武器、馬具、工具、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀の後半と推定。  単鳳環頭大刀には、舶載品とそれを模造して製作したものがあって、大塚越3号古墳の大刀は全国でも5例が確認されている。小泉長塚1号古墳の大刀に関しては、全体的に立体的で精巧に製作されているため、朝戦半島で作られ舶載された可能性が高いと考えられます。いずれにしても両古墳で出土した単鳳環頭大刀は、柄頭、龍、鳳凰などのデザインから複数の系譜を辿れることから重要な遺物と言えます。
 

梨の木山古墳

内堀、外堀巡らせる

烏川下流の左岸、前橋台地東南部に位置する前方後円墳(帆立貝型墳)で、以前は円墳とされていていました。西北方向には、4世紀後半築造の軍配山古墳が分布します。  墳丘規模は、全長50mほどと推定され、前方部を西に向け、二重周溝を備えます。墳丘には葺石が確認され、埴輪が樹立していました。埋葬施設は、墳頂中央部に南北7m、東西6mに絹雲母片岩片と凝灰岩片が含んだ礫が集中して確認できるため、礫槨または箱式石棺の存在が推定されます。  副葬品として、礫群の南端から滑石製模造刀子が出土。築造年代は、5世紀の後半と推定されます。

殿台山古墳

こう見えても前方後円墳

利根川の右岸、利根川に合流する鳥川と利根川に挟まれた台地上に位置する前方後円墳で、茂木古墳群に属します。梨の木古墳の真東200mほどに位置する。  墳丘は、全長23.3mほどで低い墳丘の上に現代のお墓が並びます。前方部らしきところも確認できず、畑の中に墓地区画があるという印象です。

玉村町その他の古墳

第19,20,25,26,35号墳

鳥川の左岸の台地上、角渕地区に残る円墳群です。群馬県古墳総覧では、消滅となっている古墳が多いようですが、墓地や神社となって残っている墳丘があります。

玉村町第15号墳

玉村町文化センターに移築

利根川の右岸、利根川に合流する鳥川と利根川に挟まれた台地上に位置する円墳で、茂木古墳群に属します。梨の木山古墳の南西に分布してましたが、現在は玉村町文化センター内に石室が移築されてます。  墳丘は、径12mほどで小型ですが、立派な埋葬施設を備えてました。南西に開口する無袖式横穴石室で、角閃石安山岩使用の互目積みを採用しています。四隅はL字型に石材を積み上げるなどの工夫が見られます。また、側壁下には小礫と砂を設けた排水技術が使われてました。  出土遺物は、円筒埴輪、人物埴輪、器財型埴輪、須恵器、鉄鏃、刀子が出土。築造年代は、6世紀の後半と推定されます。

稲荷木古墳群

前半期古墳の再利用

利根川右岸の台地上に分布する古墳群で、1号墳と2号墳が調査が行われました。その後、1号墳は消滅、2号墳は、ケアコム 群馬工場の敷地内に残り、他にも数基の墳丘らしきものが確認できます。  2号墳の埋葬施設は、角閃石安山岩の削石積みの横穴式石室内で、副葬品として4世紀後半~5世紀前半の石釧が出土、ほか武器類、馬具類、玉類も出土する。石室形状などから6世紀後半の築造と推定されるが、石釧が出土していることから、前半期の墳丘を利用して横穴石室が造られた可能性が考えられてます。

若王子古墳

30m級の円墳

烏川左岸の台地上、角渕地区に残る円墳で、墳頂に若王子神社が鎮座し、畑の中に削平はされてますが角度によっては形良く見える墳丘を残してます。  墳丘は径30.9mほどを測り、墳頂への階段が付けられてます。主体部は、未調査のため不明。出土遺物は、刀が確認されてます。

軍配山古墳

滝川一益が軍配振るう

鳥川と利根川とに挟まれた広大な平野に位置する円墳で、田園の中にこんもりと姿を現します。1582年の神流川合戦で北条氏相手に、織田方の武将である滝川一益がこの古墳に本陣を置いて軍配を振るったとされることから軍配山古墳と命名されました。  墳丘規模は径40m、高さ6mを測り、2段築成を成し、埴輪、葺石、周溝は認められない。埋葬施設は、粘土槨と推定され、2面の内行花文鏡、T字頭の勾玉、鉄鏃などが出土。築造年代は、4世紀の後半と推定される。
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