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色麻町

念南寺古墳群
主体部は家型石棺
鳴瀬川右岸、奥羽山脈から派生した東に延びる小丘陵部に分布する古墳群 で、前方後円墳1基と円墳22基から構成されます。古墳群丘陵上からは大崎の平野部の広大な眺望がひらけてます。
主墳の念南寺古墳は全長56mを測り、前方部を南東南に向けます。後円部は2段築成、葺石、埴輪を備え、墳丘周囲に周溝が巡ってます。
埋葬施設は、軟質の凝灰岩を刳り抜いた家型石棺である。蓋上面の左右長側面に突起径20cm、長さ15cmの円柱状の繩掛突起が2つ、左右計4つ付いています。棺身については、全容は明らかでなく箱形を呈するものと推定される。そして、完全なる直方体ではなく、下側がわずかにすぼみ、底面が丸みを帯びています。石棺の埋納方法については、石棺下部に敷石が見られることから、石棺を直葬ではなく、竪穴式石槨のような形態であったと考えられます。
出土遺物は、土師器甕、高坏、石製模造品、埴輪片が出土。築造年代は、5世紀後半と推定される。

色麻古墳群
総数500基に及ぶ
鳴瀬川に流れ込む花川の左岸、広大な田園の中に「色麻古墳群」があります。昭和50年代の調査で163基の円墳が見つかっており、未発見のを含めると径5~16mほどの円墳が総数500基にも及ぶと考えられてます。
埋葬施設は、横穴石室とされ、須恵器、土師器が出土しています。築造年代は、三段階に分類され、第一段階は7世紀中葉~後葉、第二段階は7世紀末~8世紀初頭、第三段階は8世紀前半に分けられる。そして、9世紀には火葬骨墓が導入されます。
7世紀中頃から陸奥国府が多賀城に移される8世紀前半にかけて共に歩んだ古墳群のある色麻町は、日の出瓦窯があって瓦の供給地としても知られ、多くの瓦を多賀城築造 の際に供給していたことがわかってます。
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