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村田町

上野山 古墳群
鹿野山支群
白石川の左岸、柴田町と村田町にまたがる上野山丘陵に分布する古墳群で、寺後支群A43基、B7基、立石支群14基、日当山支群121基、長窪山支群64基、鹿野山支群65基の計314基で構成される。東北では、最大規模の古墳群で、全容はまだ解明されていない。
山道は水害でかなり荒れているが、ポツンと1軒屋の手前から山道を上がり、太陽の村に抜ける山道を行くと28番鉄塔北側に天井石の失った石室が観れるものがある。これがおそらく1号墳と思われます。両袖式の胴張りの横穴石室で平石積みとなっている。ほか数基を確認したが、石材が一部露出した墳丘のみとなる。築造年代は、7世紀後半~8世紀と推定される。

千塚山古墳群
椿井大塚山古墳と同規格
白石川の左岸、北東から南西に半島状に派生する丘陵先端の尾根上に位置する古墳群です。現在は開発によって、丘陵が分断され古墳のある丘陵が島状に残された状態になる。主墳の千塚山古墳(1号墳)の墳丘自体は植林などによって、大きく改変されている。
1号墳の墳丘規模は、復元推定となるが西側1段、東側2段築成、バチ形の前方部の場合において全長85m、後円部径約50m、前方部幅33~34mを測り、全長169mの椿井大塚山古墳の二分の一サイズとなる。墳端、前方部幅、くびれ部の位置などが良く一致することが見てとれます。土器や埴輪などは、全く確認されていない。
東日本では、前方後円墳に先行して前方後方墳が築造されることが多いなか、村田盆地において、前方後方墳は確認されず、千塚山古墳より先行すると考えられる古墳も確認されていない。したがって、村田盆地では前方後円墳から始まるものと考えられる。周辺の前方後円墳の愛宕山古墳、方領権現古墳も千塚山古墳に後続すると考えられ、築造年代は墳形などから古墳時代前期末を下らないと推定されます。

方領権現塚古墳
くびれ部に造出
村田盆地のほぼ中央に、西から派生する丘陵の最高所に位置する前方後円墳です。愛宕山古墳が1.1kmの南側丘陵の最高所に鎮座します。
墳丘規模は、全長64m、後円部径40m、高さ7.5m、前方部 長30m、前方部幅40m、高さ4.5mで村田盆地内では、愛宕山古墳、千塚山古墳に次いで3番目の規模となる。前方部を北側尾根いっぱいに築き、左右非対称、後円部と前方部の高さは、ほぼ同じです。右側のくびれ部には、幅10mほどの造出が存在し、東北地方では、他に類を見ない貴重な存在です。
出土遺物は、土師器とも埴輪とも判断できない小片が採取されている。築造年代は、墳形から古墳時代中期と推定され、千塚山古墳、愛宕山古墳に後続する村田盆地の首長墓である。
なお、当古墳の北側、前方部に隣接するように径14m、高さ2mほどの周溝を備えた円墳があります。
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