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洲本市

淳仁天皇陵・当麻陵

兵庫にも天皇陵があった

南あわじ市賀集には、兵庫県で唯一の天皇陵とされる第47代天皇「淳仁天皇淡路陵」があります。また、近くには淳仁天皇の母である当麻陵(舎人親王妃大夫人山背 淡路墓)も存在しています。  淳仁天皇は、第40代天皇の天武天皇皇子である舎人親王の七男として誕生しました。母は舎人親王妃大夫人山背であります。天平宝字2年(758年)孝謙天皇から譲位を受け第47代天皇に即位しましたが、皇位継承をめぐる争いによって、わずか6年の在位期間をもって淡路島に島流しをされ、天平宝字9年(765年)33歳の若さで、この地で生涯を終えることになりました。廃位され長らく歴史に埋もれた悲劇の天皇であり、敵対した称徳天皇の意向によって天皇の一人と認められず、「淡路廃帝」とも呼ばれています。

明田丸山古墳

そのまんま閉塞石

洲本川に流れ込む千草川の右岸、丘陵先端部に位置する古墳ですが、現在は田んぼに残る独立丘陵上に分布しています。  墳丘規模は、径10mほどの円墳で、横穴式石室を主体部とします。石室は、奥壁側上部が開口しており、2.8×2mを測ります。玄室入り口の閉塞石がおそらく当時のまま残った状態となっているのが見るべき価値のある点と思われます。  出土遺物は、須恵器杯が出土。築造年代は、古墳時代後期。

曲田山古墳

ひっそりと口を開ける

洲本川の右岸、曲田山西尾根の南麓に位置する古墳で、小屋の背後にひっそりと横穴が口を開けてます。  墳丘規模は、径10.8m、高さ2mの円墳ですが、藪に覆われています。埋葬施設は、右片袖式の横穴石室で全長7.8m、玄室長3.6m、幅1.7m、高さ1.9m、羨道部長3.6m、幅1.2m、高さ1.5mを測ります。奥壁は、最下段に横長の腰石を据えて、不揃いな石材を統一感なく積み上げてます。

厚浜台群集墳

後期の群集墳

洲本市厚浜、海岸線沿いの国道28号線東側丘陵上に分布する横穴式石室を主体部とする群集墳です。石室石材が散乱するものが多く、基底部の残るものが唯一1基確認出来る程度です。出土遺物は、1号墳で、須恵器が出土しています。

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下加茂岡古墳

柳学園内「古墳庭園」

下加茂の丘陵上に位置する古墳で、現在は柳学園敷地内に復元整備され「古墳庭園」と名付けられています。また、同敷地内には、弥生時代後期の住居跡である「下加茂岡遺跡」も確認されてます。さらに、同丘陵上には、数基の古墳が分布しており古墳群を形成しています。  墳丘規模は、径10m、高さ2mほどの円墳で、南東方向に開口する横穴式石室を主体部とする、石室内には、紀ノ川流域から運ばれた緑色片岩の箱式石棺が納められていました。島内で初めての類例となります。さらに、石室の床面には、棺に使われている緑泥片岩の破片が敷かれていました。  出土遺物は、耳環、ガラス製切子玉、須恵器、土師器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定される。

亀谷古墳

わずかに開口するが

洲本市物部、洲本市立青雲中学校の西側丘陵麓近くの住宅街に亀谷竜王大権現があります。この脇に、わずかに横穴石室が開口しており、これが当古墳とされる。  墳丘規模は、径7.2m、高さ2.38mの円墳です。石室は2.4×1.5mを測り、残念ながら、ほぼ埋没しています。他詳細は、不明。築造年代は、古墳時代後期と推定されます。

築穴古墳

島内希少な無袖式

五色町下堺、標高69mに位置する円墳で、民家脇の小道を上がって行くと説明板が見えてきます。  埋葬施設は無袖式の横穴石室で、開口部が石材落下により狭くなってますが、玄室は良く残ってます。淡路島では、無袖式の横穴石室が少なく貴重な存在となっています。築造年代は、古墳時代後期と推定。
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岡の谷1号墳

高田屋嘉兵衛公園内にあり

播磨灘を臨む高台に築かれ古墳で、石棺が露出した状態となってます。現在は、高田屋嘉兵衛公園(ウェルネスパーク五色)のキャンプ場に残されてます。  石棺は、竜山石産の刳貫式家形石棺で、蓋と身が揃った石棺として淡路島で唯一のものとなります。石棺の状態は、元の場所に位置しており、横穴式石室の奥壁と側壁一部も残存してます。築造年代は、7世紀中頃と推定。
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