築造年代は奈良時代に入る。台風被害の補修工事の際に発見された。9基調査されたようだが、現在は崩落気味で茂みに覆われほぼ確認できない。 大きいもので間口2.4m 奥行き2.8m 高さ1.8mとなる。
径6~7mで高さ1m前後の小円墳30数基の群集墳。東北北部の円墳で構成される古墳群と共通する。いわゆる東北北部の蝦夷と呼ばれた人々と共通する在地勢力が築造したと見られる。一方で出土遺物には銙帯金具が発掘されており、律令国家と関係の深い人物像も想像させられる。A1~3号墳が調査され1号墳は経塚に使用された。