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町田市

香山古墳群

香山古墳群

香山園内の古墳群

小田急線の鶴川駅からほど近い、現在は休園中の香山園の敷地内にあります。円墳2基と横穴墓20基によって構成される。  横穴墓は平面形で、羽子板状、隅丸方形、楕円形となる。1区2号墓では木棺が確認され、他の横穴墓でも直刀をはじめ多数の出土遺物が確認されている。築造年代は、7世紀初めから8世紀初頭。丘陵上の円墳である1号墳は径12~13m、2号墳は17mで南側では付帯施設の存在を窺わせるような土層堆積が認められている。出土遺物が少量の2号墳は不明だが、1号墳は6 世紀半~7 世紀前半代と推測される。
開都横穴墓群

開都横穴墓群

刀が出土する

東西に走る町田街道の北側丘陵に位置する横穴墓群となる。現状は埋没が進み近くで窪みがなんとか確認できる程度のもが2基。出土遺物は、刀が出土しており、地主さんが町田市教育委員会に預けたようです。他詳細は不明。
西谷戸横穴墓群

西谷戸横穴墓群

線刻壁画が描かれる

7世紀前半から後半にかけて築造された9基から成る横穴墓群です。かつてはフェンス越しに開口部を見ることができましたが、現在は完全に閉塞されております。  5号墓からは、7世紀初頭に製作されたと推定される金銅製圭頭大刀が出土し、人物、船、波状文、三角文の線刻画が確認されています。
白坂横穴墓群

白坂横穴墓群

丁寧な掘り込み

7世紀に造られたと推定される二群13基からなる横穴墓群です。第一支群は、6基で構成され5号、6号墓が見学できるようになっております。数体分の遺骨と刀子、フラスコ形細頸壷が出土している。両横穴墓ともに丁寧な掘り込みがされ、床面には川原石が敷かれております。第二支群は、東側に7基から構成され民家裏で見学不可です。
下三輪玉田谷戸横穴墓群

下三輪玉田谷戸横穴墓群

家型の浮彫はココだけ

現在まで4基の横穴墓が確認され、6世紀末から7世紀にかけて築造されたと推定される。そのうち、1号と3号墓の2基には天井に家型の浮彫が表現されてる。  1号墓は、切妻妻入の梁、桁、垂木が浮彫りされている。3号墓はドーム型に垂木が浮彫りにされており、非常に特徴的である。東京都では家型横穴墓は、ここでしか見ることのできない貴重な存在となります。
上山崎横穴墓群

上山崎横穴墓群

横穴墓?

あまり詳しい情報がなく、現地に行ってみましたが横穴墓と見るのは厳しいと思われます。
つくし野横穴墓

つくし野横穴墓

最後の1基

JR横浜線の高架が架かる南側に御殿山という市民の森があって、その北側斜面に開口する。開口部は、高架下を通る桜並木の通りからも確認できる場所にある。  床面には敷石が敷かれ、隅丸方形のドーム型のように見えます。他詳細は不明。
久保ヶ谷戸横穴墓

久保ヶ谷戸横穴墓

川原石総重量は5.2t

多摩ニュータウン造成中に発見されたNo313遺跡1号横穴墓で、単独で存在していました。現在は、小山ヶ丘5丁目の 三ツ目山公園内に移築復元されています。  横穴墓は墓室が7m、前庭部のみで19mを測り、日本最大級を誇ります。川原石積みの横穴墓は、総重量5.2tの石材を使用しており、こちらも特質すべきところです。前庭部奥壁には、泥岩の切石を門柱状に組合せ、板石と川原石で閉塞してありました。墓室は、羽子板状の平面プランに川原石が敷かれ、3区画に区切られたうちの一段高くなった奥の棺台に遺体を安置していました。そして、数回にわたって追葬が行われていたようです。  出土遺物は、骨、歯、鉄刀、六窓鍔、刀子、鉄鏃、須恵器大甕、フラスコ片瓶が出土。須恵器に関しては、浜名湖に近い湖西窯跡群のものとされてます。築造年代は、7世紀中頃と推定。
根岸山横穴墓

根岸山横穴墓

横穴墓上は縄文

町田市根岸の日向根トンネルの掘削工事の際に発見され、23基の横穴墓のうち14基が調査される。なお、横穴墓の丘陵上には、忠生遺跡B地区の縄文時代中期の遺跡が分布しています。  1号墓は、長さ4.8m、幅2.7m、高さ1.8mを測り前庭部と玄室からなる構造です。副葬品として、須恵器、平瓶、大刀、鏃、刀子、金銅製耳飾り、石製丸玉、ガラス玉が出土。このほか、人骨も確認される。築造年代は、7世紀代と推定される。
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